賃貸物件の資産価値に注目

賃貸収入を得たくて中古ワンルームマンションを購入するサラリーマンが増えているようだ。確かに賃貸物件を購入することは賃貸収入の確保につながるが、その元である中古ワンルームマンションにどれだけの資産価値があるのであろうか、と考えてしまうのである。中古ワンルームマンションの価値は家賃収入の回収期待で決まっているに過ぎない。
店舗物件は店舗を構える際には非常に重要である。立地や土地の価格、また駅からの距離や周りの治安なども関わってくる上に、その建物の何階に構えるかによっても売り上げ自体が何倍も変わってくるだろう。小さな店を地下一階に構えて多く店舗を構えるやり方を実践している店もあるが、確かに効率は良いのかもしれない。一概に何が正しいとは言えないが、どのような営業形態で店舗を構えるかは店舗物件を探すときには既に持っていなくてはいけないだろう。
 <日本は、もっといい国だ。>
 ◇合唱曲など披露
 10日開幕した「富士山河口湖音楽祭2011」(同実行委主催、毎日新聞社など後援)は20日、同祭を監修した佐渡裕さん指揮の下、吹奏楽団「シエナ・ウインド・オーケストラ」と地元合唱団によるコンサートで全35のプログラムを終え、閉幕した。
 この日、富士河口湖町船津の野外音楽堂「河口湖ステラシアター」であったコンサートでは、ドイツの作曲家カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」(全曲)を演奏。「ボレイン村の歌集」という意味で、ドイツ南部ボレイン村で見つかった中世の世俗的な詩歌集を基にした、20世紀を代表する合唱曲だ。
 オーケストラの演奏に合わせ、同音楽祭のために県民130人で結成された特別合唱団や、地元・富士河口湖町の児童による「ふじ山麓児童合唱団」のメンバーら総勢290人が合唱。プロのオペラ歌手による独唱もあった。【小田切敏雄】

8月21日朝刊

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 ◆軍需工場に動員の都留高女生徒−−古屋直子さん(82)
 ◇屋根のない退避壕、布団をかけ 機銃掃射の音、頭上に何度も
 ◇敵機の爆音、まだ耳に
 大月空襲があった1945年8月13日。都留高等女学校(都留高女)=現大月市=4年の古屋直子さん(82)=笛吹市=は午前8時すぎ、学校に隣接する寄宿舎から、近くの飛行機製造工場へ出勤しようとしていた。
 肩掛けかばんに弁当や筆記用具を入れたり、首に防空頭巾をかけたりして、自室で準備を整えていた。突然、警報が鳴り響いた。寄宿舎の舎監の女性教師が大声で何かを叫びながら、土足のまま廊下を走り抜けた。「逃げろ」「気をつけろ」と聞こえた。
 とっさに自室の敷布団を抱えた。逃げようとした時、玄関までの幅約1メートルの廊下の板が、前方から「バリバリ」と音を立てながら割れてめくれ上がり、足の先まで迫った。機銃掃射だった。
 瞬時に左に避けて難を逃れ、隙(すき)を見て玄関から外に飛び出した。低空飛行する米軍機が目の前にあった。機銃を構える兵士と目が合ったように感じた。色白で黒縁眼鏡をかけ、ほおがふっくらとしたかわいらしい若い青年。優しそうな顔立ちに見えた。
 「見つかった」「もうだめだ」。必死で走った。近くの竹やぶの深さ約1メートルの退避壕(ごう)に、下級生数人と飛び込んだ。退避壕に屋根はなかった。敵機に見つからないよう、持っていた敷布団を上にかけた。壕の広さは畳1枚半程度。数人でぎゅうぎゅうで、体を動かす隙間(すきま)はなかった。
 ヒュー。カラカラ。バリバリバリ。敵機が下降し、機銃掃射の音が繰り返し聞こえた。頭上に、何かがバラバラと落ちてきた。校舎の破片だろうか。次はやられるかもしれない。攻撃の度に敵機が去るのを願った。助かったと思うと、何度もやって来た。
 「苦しい」「撃たれてもいいから、もう出して」。下級生たちが耐えられなくなった。古屋さんは必死で励ました。「もうちょっと頑張って。声は立ててもいいけど、動いちゃだめ」
 敵機の音が聞こえなくなっても、古屋さんたちは、退避壕に隠れていた。上から、「痛いよ、助けて」という女性の声が聞こえた。布団をそっとめくると、負傷者が担架で運ばれていくのが見えた。体を起こすと、校舎の玄関近くに大きな土の山ができていた。爆弾が落とされた跡だった。
 怖くなって学校の裏山に逃げ込んだ。震えが止まらなかった。昼過ぎ、辺りが静かになったころに山を下りた。そのまままっすぐ忍野村の実家に帰った。その後、しばらくは爆音が耳に残り、満足に眠ることができなかった。
 空襲で犠牲になった都留高女の学生や教職員は24人。2日後、終戦を迎えた。2学期から学校は再開したが、校舎は破壊されたままだった。
  * * *
 数年前まで、古屋さんは飛行機に乗ることができなかった。「飛行機の音を聞いただけで、空襲を思い出し、首をすくめていました」と、記者に話してくれた。
 「戦争中は、お国のために働くことが優先された。人目を気にして、本を抱えて歩くこともできなかった。戦争のない平和な世の中で、もう一回女学生になれたらいいなって思います」【山口香織】

8月21日朝刊

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